用の美 上巻 柳宗悦コレクション―日本の美 pdf無料ダウンロード
用の美 上巻 柳宗悦コレクション―日本の美
日本民藝館 / 本
用の美 上巻 柳宗悦コレクション―日本の美 pdf無料ダウンロード - 日本民藝館による用の美 上巻 柳宗悦コレクション―日本の美は世界文化社 (2008/6/11)によって公開されました。 これには176ページページが含まれており、本というジャンルに分類されています。 この本は読者からの反応が良く、1人の読者から4.1の評価を受けています。 今すぐ登録して、無料でダウンロードできる何千もの本にアクセスしてください。 登録は無料でした。 サブスクリプションはいつでもキャンセルできます。
用の美 上巻 柳宗悦コレクション―日本の美 の詳細
この本を見つけたり読んだりすることにした場合は、用の美 上巻 柳宗悦コレクション―日本の美の詳細を以下に示しますので、参考にしてください。
タイトル : 用の美 上巻 柳宗悦コレクション―日本の美
作者 : 日本民藝館
ISBN-104418082077
発売日2008/6/11
カテゴリー本
ファイル名 : 用の美-上巻-柳宗悦コレクション-日本の美.pdf
ファイルサイズ19.23 (現在のサーバー速度は28.2 Mbpsです
用の美 上巻 柳宗悦コレクション―日本の美 pdf無料ダウンロード - 内容紹介【日本民藝館の協力、監修による珠玉の名品を撮りおろした決定版】名もなき工人たちの手によって生まれた「日用の雑器」に美を見出し、蒐集した柳宗悦。万余を超えるその蒐集品は東京駒場の日本民藝館に収められています。本書では、ファンはもちろん初めて民藝と向き合うかたがたにも楽しんでいただけるよう、三つのポイントで編集しました。1. 目利きが選んだ名品中の名品数多の品々から厳選に厳選を重ねてくださったのは、日本民藝館主任学芸員の尾久影三さん。柳宗悦の世界、その思想を受け継いできたからこそそのセレクトが光ります。2. クオリティの高い撮りおろし写真土門拳に師事し、仏像や名宝などの撮影で名高い写真家・藤森武さんが、全篇を撮りおろしました。名品を手にしているような気分で“愛でて楽しむ”ことができます。3. ダイナミックな誌面、わかりやすく解説名品の良さを表現するために、判型も大きくしダイナミックな写真で誌面を展開。写真の解説は必読です。柳宗悦がどのような考えで一点一点を蒐集したのか、彼自身の遺した言葉を引きながら、わかりやすく解説します。【本書の内容】1. 器 : 漆器に陶磁器、沖縄の器など“用美相即”の器たち2. 家具・調度 : “用が美を生む”を雄弁に語る家具と調度3. 衣・裂 ほか : “用は美を育む大きな力”着物、裂、編組4. 彫刻・絵画 ほか : 木喰仏や石仏、絵馬などが表す“生(うま)るる美”柳 宗悦(やなぎ むねよし8そうえつ)) 1889(明治22)~1961(昭和36)現在の東京都港区に海軍少将・柳楢悦の三男として生を受ける。父楢悦は和算家としても知られていた。母勝子は講道館柔道の創始者・嘉納治五郎の姉。1910(明治43)年、学習院高等科在学中に文芸雑誌「白樺」の創刊に参加。東京帝国大学哲学科を1913(大正2)年に卒業。朝鮮陶磁器の美に魅了された柳は1916(大正5)年以降、たびたび朝鮮半島を訪れる。無名の職人が作る民衆の日常品の美に注目した柳は、バーナード・リーチや富本憲吉、濱田庄司、河井寛次郎らとの親交の中で、「民藝」の新語を生み出す。「日本民藝美術館設立趣意書」を発表したのは1926(大正15)年のこと。柳は”生活の中の美”の啓発につとめていった。1934(昭和9)年に「日本民藝館」を創立し初代館長に就任。ここを拠点に工芸調査や蒐集活動、展覧会を積極的に展開した。1957(昭和32)年、文化功労者に指定された。内容(「BOOK」データベースより)柳宗悦がその生涯をかけて蒐集した“美の世界”に親しむ。珠玉の名品を撮りおろした「民藝」決定版。
カテゴリー: 本
用の美 上巻 柳宗悦コレクション―日本の美を読んだ後、読者のコメントの下に見つけるでしょう。 参考までにご検討ください。
日本民藝館って、何度か行った駒場の東大のすぐ側に1936年の昔からあったなんて、ぜんぜん知りませんでした。気がついてれば何度でも行けたのに、今となっては残念無念でした。この本は、たった176頁ですが大型本で、写真に撮られた漆器・陶磁器・沖縄の器・家具・調度品・着物・彫刻・絵画・石仏・絵馬なんかは、みんな自信に満ちて美しい光彩を放っています。柳宗悦が、日本全国の無名の作り手たちの日用雑貨・器に美を発見して、腕によりをかけて選んで蒐集した逸品が勢ぞろいしました。ここでは、なんでも鑑定団的な骨董品・美術品の目利きは挫折するしかありません。名人が作ったとか、伝統的なとかいう価値観はまったく役に立たたないからです。ただ使えば使うほど底光りするような、素朴美とでも呼ぶような、ジワーと身震いして感極まった感動が押し寄せるとでも表現するのでしょうか。言ってみれば、単なる道具にすぎないはずなのに呼吸しているようにみえる、人間そっくり、の感じ。きっと、作った人と使った人の魂が交感して、モノに生命の原初形態が宿ってしまったのに違いありません。登録日 : 2009年07月15日 12:03:00
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