近代天皇像の形成 (岩波モダンクラシックス) epubダウンロード

近代天皇像の形成 (岩波モダンクラシックス)

安丸 良夫 / 本

近代天皇像の形成 (岩波モダンクラシックス) epubダウンロード - 安丸 良夫による近代天皇像の形成 (岩波モダンクラシックス)は岩波書店 (2001/9/7)によって公開されました。 これには309ページページが含まれており、本というジャンルに分類されています。 この本は読者からの反応が良く、3人の読者から4.8の評価を受けています。 今すぐ登録して、無料でダウンロードできる何千もの本にアクセスしてください。 登録は無料でした。 サブスクリプションはいつでもキャンセルできます。

近代天皇像の形成 (岩波モダンクラシックス) の詳細

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タイトル : 近代天皇像の形成 (岩波モダンクラシックス)
作者 : 安丸 良夫
ISBN-104000266675
発売日2001/9/7
カテゴリー本
ファイルサイズ24.9 (現在のサーバー速度は18.84 Mbpsです
近代天皇像の形成 (岩波モダンクラシックス) epubダウンロード - 内容紹介 社会秩序の要として今日も機能し続ける天皇制.この天皇制をめぐるイメージの大部分は,近代国家の形成期である明治維新をはさむ約百年間に作り出された.その生成と展開の過程を,思想史の手法により具体的な史料の分析を通じて跡づけ,近代天皇制の本質を鮮やかに解明する.近年の研究を体系的に総合した渾身の書下ろし. 内容(「BOOK」データベースより) 社会秩序の要として今日も機能しつづける天皇制。この天皇制の核をなすイメージが、近代国家形成期である明治維新をはさむ約百年のあいだにいかにして形成されたかを、具体的な資料に即して分析する。民衆思想史分析からの到達点。 内容(「MARC」データベースより) 社会秩序の要として今日も機能しつづける天皇制。この核をなすイメージが、近代国家形成期である明治維新をはさむ約百年のあいだにいかにして形成されたかを、具体的な資料に即して分析する。92年刊の再刊。 続きを見る
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本書(岩波現代文庫『近代天皇像の形成』(安丸良夫著、2007年10月16日第1刷発行岩波書店))を引用とコメントで紹介します。本書は出て、すぐに購入したと思いますから、すでに12年の歳月が経っていますが、内容が陳腐化するというようなことは全く無いようですので、Amazonでの「書評」を行う次第です。あの「大嘗祭」も行われているようですので、時宜にかなったものとなっているでしょう。傍点、傍線、まるぼしは、≪≫で代替します。引用文全体は、【】で囲みます。引用文中の引用は、<>で囲みます。まずは、目次を紹介します。第一章課題と方法(P.1~P.31)1 天皇という権威(P.2~P.11)2連続説と断絶説(P.11~P.26)3本書の課題(P.26~P.31)第二章近世社会と朝廷・天皇(P.33~P.67)1 統一権力と朝廷・天皇(P.34~P.47)2儒者の朝廷観(P.47~P.57)3祭祀論における転回(P.57~P.67)第三章民俗と秩序との対抗(P.69~P.103)1 社会的周辺としての民俗(P.70~P.79)2祭礼をめぐる対抗(P.79~P.93)3異端のコスモロジー(P.93~P.103)第四章危機意識の構造(P.105~P.140)1 本居宣長(P.106~P.114)2平田篤胤と草莽国学(P.114~P.127)3水戸学(P.127~P.140)第五章政治カリスマとしての天皇(P.141~P.172)1尊王攘夷運動の天皇像(P.142~P.152)2決断主体とマキャベリズム(P.153~P.163)3政治戦略と民心(P.163~P.172)第六章権威と文明のシンボル(P.173~P.209)1維新変革の正統性原理(P.174~P.186)2神道国教主義の展開(P.186~P.198)3「信教の自由」と国家(P.198~P.209)第七章近代天皇像への対抗(P.211~P.247)1 明治初年の民衆運動と天皇(P.212~P.222)2<異人>と<耶蘇教>(P.222~P.236)3民俗をめぐる対抗と編成替え(P.236~P.247)第八章近代天皇制の受容基盤(P.249~P.291)1 地域秩序と権威中枢(P.250~P.267)2「民権=国権」型ナショナリズム(P.268~P.277)3天皇崇拝の浸透度(P.278~P.291)第九章コメントと展望(P.293~P.311)(1)国民国家の編成原理について(P.294~P.298)(2)正統と異端(P.298~P.301)(3)天皇制的コスモロジーについて(P.301~P.307)(4)現代天皇制について(P.307~P.311)引用参照文献一覧(P.313~P.321)あとがき(P.323~P.331)天皇制とジェンダー・バイアス ―― 岩波現代文庫版あとがきにかえて ――(P.333~P.341)本書を1回しか読んでいない書評者に、要旨を紹介するなんてことはできませんし、何か気の利いた言葉で解説することもできませんので、気に入った文章をいくつか引用紹介して、本書の紹介とします。あの「大嘗祭」について、通説的「大嘗祭論」を批判している文章がありますので引用します。書評者は、大嘗祭なんて、「おまじない」か「てかざし」の類い以上のものではないと思っていますが、国費を使って大々的に行っていますので、それに対する批判は重要だと思いますので、引用します(丸山眞男も「天皇制の呪縛」からの脱却に苦しんだようです)。それから、カール・マンハイムが「保守主義」の特徴について説明している文章の紹介がありますので、そこも引用します。最後に、第九章の「コメントと展望」の中の「(4)現代天皇制について」の文章を全文引用します。何といっても「歴史は常に現代史である」ですから(「歴史は現代文学である」かも知れませんが)。まずは、「大嘗祭」についての文章です。【「だが、大嘗祭についての最近の歴史学的研究は、大嘗祭の内容や即位儀礼のなかでの位置づけなどを実証的に究明して大きな成果をあげている。大嘗祭のなかに日本人の宗教意識の古い本質をみようとする民俗学的立場とは対照的に、こうした歴史学的研究は、大嘗祭の歴史のなかでの変遷を明らかにしているが、ここでは宮地正人の研究[ 宮地、1991 ]によっていちべつしてみよう。まず、1466年から1687年までの大嘗祭の中断について、宮地は、朝廷の財政難によるという通説を批判し、財政問題がからんでいたにしろ、中世には荘厳な仏教儀礼=即位灌頂(かんじょう)があって、大嘗祭は王位継承にさいして必ずしも必要ではなかった、とする。ついで、1687年の再興には、天皇の万世一系を強調する垂加神道の影響が強かったのだが、大嘗祭の神事の位置づけを「コペルニクス的に大転回」させたのは本居宣長で、それは、天皇が新穀を神に捧げるだけではなく、みずからも食べるところにあるとされる。このことが重要なのは、天皇はたんなる血統によってではなく、天照大神と神聖な穀物を共食することによって天照大神から直接に神性を賦与されて、統治権者としての神性を獲得することを意味しているからである。こうした大嘗祭観念は、1871年(明治4年)の大嘗祭告諭において国家の公認解釈となり、天孫降臨、そのさいに与えられた斎庭(ゆにわ)の稲穂に由来する新穀の共食、この共食を根拠とする天皇の神聖な統治権などを結びつけて、大嘗祭の内実とした。だが、1928年の折口の「大嘗祭の本義」において、大嘗祭ははじめて稲穂=神魂説、真床襲衾(まどこおぶすま)論、君主聖婚説などと結びつけられて、天皇の現人神としての性格を根拠づける体系的な教説となったのであり、それはまさにファシズム体制への転換と対応しあう見解であった。このように理解すると、一見、学問的な装いで提出されている折口の大嘗祭論とその影響下にある通説的諸見解が、じつは国学的な天皇現人神観を、人類学と民俗学の知見をふまえて発展させたものであり、近代天皇制の展開と即応してほとんど無自覚のうちにそれに相応しいコスモロジーを紡ぎだすような意味をもっていた、ということになろう。」(P.24~P.25)】上記に引用した文章の直前の文章に、「学問的な装いで提出されている折口の大嘗祭論とその影響下にある通説的諸見解」(P.25)の例がありますので、その部分を、予定外ですが、引用します。【「宮中の祭りと村の祭りがよく似ているとは、柳田国男がくり返してのべたことであり、柳田の研究を導くライト・モチーフのひとつとなっている観点である。とりわけ重んじられているのは、大嘗祭の秘儀的な部分で、各地の名社大社の祭儀ではすでに失われている日本の祭祀の古い形がそこに伝えられており、それが村の小さな祭りの古い様式と符合しているとされた。また折口信夫は、人類学的王権論の知見をふまえて、大嘗祭のなかに天皇霊の継承を読みとり、天皇制の内面に柳田よりも深くふみ込んで、王位継承儀礼のダイナミズムを論じた。そして、柳田と折口の権威はきわめて大きかったから、柳田のより一般的な祭り論を背景において、折口の天王霊継承論が、その後の大嘗祭論の基本視点とされるようになった。この点は、護教的な大嘗祭論に限らない。戦後の新鮮な天皇制論を代表する宮田登・谷川健一・山折哲雄などの民俗学的天皇制論や吉本隆明の天皇制論も、柳田・折口、とりわけ折口の天皇制論をひきつぐような内容で展開された。」(P.23~P.24)】折口信夫や柳田国男は、やはり、いけませんね、吉本隆明よ、おまえもか!てな感じですか。Amazon「書評」のどこかでも書きましたが、見田宗介の、柳田国男の『明治大正史世相篇』絶賛を受けて、ちくま文庫の柳田国男全集を買ってしまいました(25巻くらいあったと思いますが、いまだに、第1巻『海上の道』しか読了していません)。折口は全くの神道ですから、もう読むことはないと思いますし、柳田も、仏教は嫌いなようで、その民俗学も「神道臭く」ていけません。宮本常一はどうなのでしょうか、彼の著作は、時間があったら読もうとは思っているのですが。「カール・マンハイム」の部分の引用を始めます。【「K・マンハイムは、保守主義的な体験と思考の本質的な特徴として、「直接に現存するもの、実践的≪具体的なもの≫への執着」(傍点訳書)をあげ、それはまた「一切の<可能的なもの>、<思弁的なもの>にたいする極端な嫌悪を意味する」、とものべている[ マンハイム、1958、30-31頁 ]。マンハイムのいう「実践的具体的なもの」が、宣長の擁護する生活世界のリアリティにあたり、<可能的なもの><思弁的なもの>が、儒学の規範にあたるとすれば、宣長の思想はマンハイムのいう保守主義によく適合すると思う。マンハイムはまた、保守主義の特質として、革命的自由概念と対立する「質的自由概念」をあげているが、それは、「すべての者がそれぞれそのもっとも内的な原理に相応したみずからの固有の成長法則を発展させること」であり、形式的外的な平等概念ときびしく対立する[ 同右書、43頁 ]。宣長は、基本原理としての現実肯定のうえにたつことで、現実のなかに「質的自由」を確保しようとしているのだから、その意味では保守主義ゆえの自由主義こそ、宣長学の神髄だともいえる。そして、この保守主義=自由主義の前提にあるのは、この世界の全体を人智をこえた神秘として肯定して受けいれる受動性、敬虔な享受である。マンハイムは、保守主義は「自己が生きる世界の≪構造≫について本来顧慮しない」[ 同右書、34頁、傍点訳書 ]とのべているが、それは、「世界の≪構造≫」を主知的合理的に思弁しないということで、この世界の全体を深い意味にみちたコスモスとして受容することは、保守主義に相応しい感受性と思惟様式である。近代天皇制を構成する諸観念が、全体としてみれば、危機意識を昂進させるデマゴギー的言説でありながらも、こうした生活保守主義=自由主義をふまえて形成されたということは、近代天皇制の特質を考えるうえで興味ある論点だと思われる。」(P.112~P.113)】最後に、第九章の「コメントと展望」の中の「(4)現代天皇制について」の文章を全文引用します。標題の文章も、この文章の中に含まれています。この第九章(本書全体がそうですが)は、全て興味深く啓発的な文章です、特に「(3)天皇制的コスモロジーについて」は素晴らしいと思いますが、若干長すぎるので、引用は止めにしました。やはり、「現代」が重要です。【「(4)現代天皇制について各種の意識調査によれば、敗戦直後から現在まで、天皇制は一貫して国民の80%以上の支持をえており、その支持率は圧倒的でまた安定している。1960年ごろを境にして天皇の権限強化を求める意見は急速に少なくなり、現在では80%以上の人が憲法に規定されたような象徴天皇制を支持している。しかし、若者を中心に無関心派も増えていること、昭和天皇に戦争責任ありとする人が、調査によってバラつきが大きいが、255以上、40%台のばあいもあり、とりわけ知識層では比率が高いこと、昭和天皇の死にさいしての外国の報道機関の論評に表れたように、外国人の天皇制を見る眼はきびしいことなど、天皇制にとって困難な状況も存在している。それでは、こうした状況のなかで、天皇制は現代日本においてどのような意味をもち、どのような役割を果たそうとしているのであろうか。これは、容易に答えうる問題ではないが、本書の立場からすると、天皇制は、現代日本においても国民国家の編成原理として存在しており、そのもっとも権威的・タブー的な次元を集約し代表しているということになろう。敗戦を境として、現人神天皇観や世界支配の使命などという、国体の特殊な優位性についての狂信的妄想的側面は、あっさり脱ぎ捨てられ、物質文明と消費主義のなかで生きる人びとの常識に、天皇制は適応した。しかし、こうした社会にもほとんど目に見えないような形で秩序の網が張りめぐらされており、天皇制は、政治とは一定の距離をとった儀礼的な様式のもとで、誰もが否定してはならない権威と中心とを演出して、それを拒否する者は「良民」ではない、少なくとも疑わしい存在と判定されるのだという選別=差別の原理をつくりだしている。このようなものとしての天皇制が、現代においても穢れへの神経症的な恐怖とでもいうべき極端な浄・不浄観によって構成されている神道儀式と固く結びついていること、天皇家の人びとが、誠実・生まじめ・幸福などを模範的に体現し、さまざまな人間的苦悩を押しかくして清浄人間を演じなければならぬこと、支配層もまた、政治の悪や毒の飛沫をあびない、「天空にさん然と輝く太陽のごとき」(中曾根康弘)存在として天皇制を位置づけようとしていることなどは、注目に値しよう。汚濊や悪や不幸などは、構造と秩序とを脅かす曖昧で不気味な活力だから、天皇制は首尾一貫してそうした次元から隔離されて、純粋で模範的な秩序とならなければならないわけである。だが、そこには現代天皇制のひ弱さが露呈されていて、本当は、こうした隔離によって天皇制は魅力と活力の源泉を失い、人畜無害の骨董品のようになって、国民の関心対象から逸れてしまう可能性があるのだが。そこで、君が代・日の丸の強制や学習指導要領の改訂などということになるが、そこにはまた強権ゆえの空疎さがつきまとっているにちがいない。さまざまな儀礼にしても、厳戒体制のもと、過剰な荘重・華麗さでくり返されるなら、国民の生活感覚とのズレが拡大して、統合機能を弱める可能性がある。しかしそれでも、一見自由で、むしろ欲望自然主義的な原理によって動いているとさえ見える社会が、じつは選別=差別によって秩序を確保しつづけようとする社会の側が求めたものだからこそ、存在しているのである。企業、各種の職能団体、町内会、官庁、大学など、現代日本に存在するどんな集団を取りあげて考えてみてもよいのだが、ここでは仮に相撲界をとりあげてみよう。相撲界に入ってくるのは、力自慢の少年たちであって、彼らはこの小さな世界のなかで実力を競いあい、ひとつでもその秩序の階梯を上へのぼろうとする。そこにはもともと力自慢の実力主義だけがあって、天皇制はどんな影響力ももっていないだろう。だが、力自慢の少年がやがて相撲界で頂点にまで達すれば、彼は国技館へくる天皇を出迎えたり、園遊会に招かれたりするようになる。相撲協会を中心として形づくられている秩序は、相撲界が存続し繁栄するために、それ自体の内在的根拠にもとづいて構成したひとつのシステムなのだが、しかし、相撲界はまた全体としての日本社会のなかで位置や意味を与えられることを求めており、そのことをずっとつきつめて把握してゆくと、その頂点では天皇制に行きつくのである。他方、国家と天皇制の側も、千代の富士や二子山親方が大喪の礼や園遊会に参加することで、栄光を増すことができる。相撲界のばあいは、昭和天皇の相撲好きや「国技」としての相撲という伝統的観念などでやや特殊性はあるが、しかし、日本社会のなかにあるほとんどすべての集団において、基本原理はまったく同一である。天皇制とはなんのかかわりもない資質・能力・業績などにもとづいて形づくられているそれぞれの小世界は、他方でまたナショナルな普遍性の次元でより一般的に権威づけられ価値づけられることを求めており、こうした権威づけと価値づけの頂点で天皇制にゆきついてしまう。そして、このような権威づけや価値づけを、自分がその小世界で果す業務や業績とはなんのかかわりもない次元のことだと拒否するような人は、どこか非同調的で気心の計りにくい異分子である。実際問題として、昭和天皇の死にさいして、弔旗の掲揚や黙祷を拒否したり、大喪の礼の夜に新宿歌舞伎町で騒ぐことは難しかった。天皇制は、秩序と権威にしたがう「良民」か否かをためす踏絵として、いまも十分に機能しているといえる。現代の日本では、企業や各種の団体や個人は、一見自由に、むしろ欲望のおもむくままに行動しているのだが、しかしじつは、その自由は国家に帰属してその秩序のなかに住むことを交換条件とした自由であり、国家の側はまたこの自由を介して国民意識の深部に錨をおろし、そこから活力を調達して統合を実現しているのである。こうして、企業やさまざまの集団と国家とは、相互に求めあい保障しあうことで存立しており、どんな日本人もこうした枠組みから大して自由ではないのだが、天皇制は、この基本的な枠組み全体のなかでもっとも権威的・タブー的次元を集約し代表するものとして、今も秩序の要として機能している。だからそれは、個々の現象面への批判によっては乗りこえ難い存在であり、いつの間にか心身にからみつくようにして私たちを縛っている。それは、私たち個々人が自由な人間であるという外観と幻想の基底で、どんなに深く民族国家日本に帰属しているかを照らしだす鏡であり、自由な人間であろうと希求する私たちの生につきつけられた、屈辱の記念碑である。」(P.307~P.311)】安丸良夫が本書の単行本のあとがきを書いたのは、1992年2月ですから、それからでも27年以上(岩波現代文庫のあとがき(2007年8月)からでも、12年以上)も経っています。その後、インターネットの爆発的普及等、情報通信技術の発展によって、状況は一変しています(「本質的な変化」かどうかはよく分かりません)。そして、ここ数年のSNS等の普及(スマホの普及が前提でしょう)とフェイクニュースの氾濫です、そして日本では、あの安倍晋三の出現です(その前のエポックとしては小泉純一郎でしょう)。そして、ゆくゆくは「スコア社会」の出現でしょうか(あの「1984」のIT化です)。今回の、平成天皇の退位、今の天皇の即位とパレード、「大嘗祭」等々、状況は27年前( or 12年前)よりもいっそう悪化しているように思われますが、この状況を安丸良夫ならどう見るのでしょうか・・・・・。

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